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<らんぶる>も<スカラ座>も<風林会館>も台湾人華僑がつくった・・・。 戦後、焼け野原に建設された「歌舞伎町」は、鈴木喜兵衛(町会長)や石川栄耀(都市計画家)らによる功績として語られてきた。しかし歌舞伎町が興行街として産声を上げ、さらに昭和30年代から40年代にかけて輝かしい時代を築いていく過程で、台湾人が大きな役割を果たしてきたことは、ほとんど知られていない。 長い歳月をかけて行われたインタビュー調査をもとに、そうした台湾人の多くが、新宿のヤミ市「安田組西口マーケーット」にルーツをもつことを突きとめ、彼らの濃密なネットワークのなかから、喫茶店や映画館、パチンコ店、キャバレー、ヤキトリ屋、ホテルなど、“新宿文化”が芽吹いていった事実を明らかにする。 知られざる戦後史であり、歴史的資料として価値の高い一冊!