出版社情報
[第一特集]
天空を舞うジュラルミンの猛燕
三式戦闘機「飛燕」と五式戦闘機
川崎航空機は昭和14年(1939年)、ドイツのDB601液冷エンジンのライセンス生産権(ハ40)を取得。陸軍は重戦闘機・キ60、軽戦闘機・キ61の試作を川崎に指示する。キ60は性能に優れず不採用となったが、キ61は優れた性能を発揮、陸軍はこれを受けキ61の大量産を決定。昭和18年6月には「三式戦闘機」として制式化され、後に愛称は「飛燕」となった。
昭和18年夏から三式戦はニューギニア戦線に投入され、比島戦などにも参加したが、ハ40エンジンの故障が多発、米軍の新鋭機には苦戦を強いられた。それでも本土防空戦では高い稼働率を維持、B-29の迎撃に気を吐いた。三式戦の生産数は2,884機にも上る。
三式戦は二型でエンジンをハ40の性能向上型のハ140に換装したが、生産に行き詰まり、エンジンのない胴体だけの三式戦二型が並ぶ有様となった。そのため昭和19年10月、三式戦二型のエンジンは信頼性が高い空冷のハ112IIへ換装されることになる。完成したキ100は、速力は三式戦二型より低下したものの運動性や信頼性が向上して予想外の成功作となった。生産数は395機と少なく、活躍例も限られるが、陸軍戦闘機の有終の美を飾ったことは確かだ。本特集では、WWII時日本軍唯一の液冷戦闘機として奮闘した三式戦闘機と、三式戦の生まれ変わりと言えるキ100(通称:五式戦闘機)を、開発の経緯、メカニズム、戦歴、運用、型式、人物など多角的に紹介していこう。
[第二特集]
イギリスが誇る最大最強の巡洋戦艦
巡洋戦艦「フッド」
戦艦の火力と巡洋艦に伍する速力を併せ持った「巡洋戦艦(Battlecruiser)」は、英海軍の「インヴィンシブル」を嚆矢とし、英独海軍を中心に発展を遂げた。第一次大戦中の1916 年には15インチ(38.1cm)砲搭載の巡洋戦艦の建造が計画され、同年5月31日には一番艦が起工されるが、まさにその当日にジュットランド沖海戦が生起、英巡洋戦艦3 隻が轟沈する事態となった。