出版社コメント情報
「万世一系(ばんせいいっけい)」は平安京とともに始まった政情不安な唐、東北地方に侵入する異民族。動乱の時代にこの国を統治した「日本国王」は何者だったのか!? なぜ桓武は「外交手腕」を発揮できたのか(本文より抜粋)7世紀前半から、中国の周辺遊牧民族は吐蕃(とばん)が勢力を持つようになった。「安禄山(あんろくざん)の乱」以後、吐蕃、そして表向き唐に懐柔されている回鶻(かいこつ)(ウイグル)勢力すら、すきあらば唐朝を倒し、新羅(しらぎ)や日本までも侵略しようとしていたのである。このような時代に桓武は成長した。日本の天皇であれば内政を完璧にこなせばすむ、という時代ではなかったのだ。唐国の不安定な政情がそのまま日本に反映し、国際的な視野があるのみならず、外国からの具体的な侵略にも対応できる実力を、統治者・天皇自身が兼ね備えていなければ、日本国自体がどうなっていたか分からない時代だったのである。そういう意味では、桓武は見事に外交手腕を発揮して、日本国の存続を確実にした人だったといえよう。このような国際的視野を持つ人が、果たして日本国内のみで育った人だったのだろうか。