出版社コメント情報
なぜ彼は信長を裏切り、光秀に濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せたのか?明智軍が本能寺に到着した時、すでに信長の首は討ち取られていた──「羽柴秀吉こそが首謀者」を実証する「歴史の固定観念」を再検証すると、「本能寺の変」の真実が見えてくる◎事件直前の茶会からも明らかな、「光秀冤罪説」◎徳川家康も、光秀が「実行犯」とは思っていなかった◎信長は「是非ニ及バズ」と言っていない京都、岡山、福知山──現地取材でわかった新事実の数々◎死の直前に信長が本能寺で行なった茶会の真の目的とは?◎秀吉の高松城水攻めは、実際には行なわれていなかった。◎光秀が祀(まつ)られている御霊(ごりょう)神社に奉納された系図には、 わざと間違いが記されていた。──茶道に精通する研究者が、徹底的な現地取材と資料渉猟によって約430年ぶりに明らかにした「光秀の冤罪」!