出版社コメント情報
日本史において六世紀中葉の百済からの仏教公伝以後、史書に僧や造寺・造仏の工人の渡来が記され、寺院の造営が語られるものの、これまでそれを具体的にイメージさせる歴史素材がなかった。百済王興寺跡と舎利容器などの出土遺物はそれを飛鳥寺と結び付けてみる時、多様な解釈を可能にする格好の資料となり、やがて具体的な歴史像を浮かび上がらせてくるのである。王興寺跡の発掘成果は、陵山里寺、さらに武寧王陵などとの関連を喚び起こしたばかりでなく、その源流を中国はもとより、西域、インドにまで辿りうるユーラシア規模の時間、空間の広がり