出版社コメント情報
明治のあけぼの間もない1872(明治5)年、お雇い医師を招いて発足した京都療病院(現・京都府立医科大学)。そこで初代ヨンケル、マンスフェルトに続いて招かれたのがドイツ人医師ハインリッヒ・ボート・ショイベ(1853~1923,滞日は1877~81)であった。 ショイベは治療・教育・研究にあたって優れた成果を挙げたが、とりわけ脚気・寄生虫の研究やアイヌの民俗学的研究において大きな足跡を残している。同様のお雇い医師として、かつドイツで師ブンダーリッヒの元でともに学んでいる、ショイベの兄弟子分のベルツ(1849~1913)が日本近代医学の父としてよく知られる一方、ショイベについては文献や資料が少なく、これまでほとんど知られていない。 本書は、ショイベが滞日中に母へ送った書簡のコピーを、ショイベの遺族から得た編著者が、その翻訳を通して、ショイベの生涯をはじめ、ほかのお雇い外国人達との交流や居留地での生活から明治初期の京都の風俗にいたるまでを、生き生きとよみがえらせる。巻頭に口絵写真、巻末にショイベの業績リスト・年譜を付す。