出版社コメント情報
嘉永6(1853)年、ペリーが東印度艦隊を率いて来日し、米国大統領の親書を日本側に手渡すとともに開国通商を求めた。同時代のアジア諸国は、そのほとんどが欧米列強の植民地に編入されるか、蚕食の危機にさらされていた。このような一九世紀のアジア情勢を見るとき、日本が植民地化の途を歩まず独立を堅持したうえで、社会の近代化を達成しえたことの文明史的な意義は少なくない。では、それが何故に可能であったのかと問うとき、欧米列強に互しうるだけの力を蓄えていた徳川日本の文明史的力量に着目せざるをえないであろう。徳川社会はどのような力powerを、いかにして形成しえたのか、多分野の研究者の書き下ろし論文25本により総合的に究明する。